更新日:20061201
レイン・トゥリー・クロウ011〜020
011
 優のパンティの少し濡れた部分を指でなぞる。小声で喘ぐ彼女にさりげなく抱きつく玲。そこから先はパラダイス。


012
 朝陽。
 昼。
 夕陽。
 月夜。


013
 物語れない、それは、彼女の自殺が契機か、それとも自分には物語る才能が欠落しているのか、いや、常に初めから必要なものが欠落しているのが自分なのではなかったか。あらかじめ欠落している世代、いや、それは世代なのか。単なる個人、欠落した人間というだけなのではないのか。物語ろうとすると物語は抜け落ちて行く。だから、このような短文の積み重ねを小説と言い張る姑息な自分がいる。しかし、物語ることが通常なのなら、それが病なのだとしたら、。なぜよどみなく物語れるのか、と。
 知り合いにキャンバスの単語を転写して作品とする者がいる。彼もまた私と同類だ。いや、同類だと私は勝手に決めつけている。白いキャンバスに黒い日本語の単語が描かれている。たとえば、椅子。たとえば、ヴァギナ。たとえば、海。たとえば、たとえば。一番好きなのは、絵画と描かれたもの、画廊とかかれたもの、この2種。結局、すべて言葉以外の何ものでもない。


014
 壁、床、絵画、物体、書物、その他、何でも構わない、白く塗ることで作品を生成させる。
 また、塗られた物の違いによって同じ白でも白の色合いが変容することをも同時に提示すること。
 もしくは、種類の異なる白(例えば違う種類の絵具やペンキ)を用いて、白そのものの差異を作品化すること。


015
 彼女が愛したハンス・ベルメールの人形シリーズ。エロスとしか言いようのない球体人形。いつだったか自分でも球体人形を作ろうとして、彼女がいろいろ調べ回っていた記憶がある。結局、彼女は、作品集の写真を見ているだけのほうが幸せという結論に達するのだけれど。人形愛、しかし、彼女が愛したのは、ベルメールの球体人形でも裸体でもなく、そのあられもない姿、ベルメールの無意識=美意識そのものではなかっただろうか。美意識とは説明も定義もできないし、誰かに受け継がれることもない。あるとすれば断続した影響といったものでしかない。
 秘めやかに秘かに続けられる沈黙の芸術活動。彼女は、その秘めた行為に何か親近感めいた深い感情を抱いていたのではなかったか。それは、彼女にとっての愛だろう。人と性交することはできても、愛情を分かち合うことの欠落していた彼女は、男とセックスしたけれど面白くなかったと大げさに強がってみせたものだった。彼女は胸も大きくフェラも得意だった。しかし、それと愛とは別だろう。セックスと愛が別なように。愛がなくてもセックスができ、セックスがなくても愛があるように。
 彼女とは一度しかセックスしたことはない。しかし、それも曖昧な記憶でしかないから、思い違いという可能性も充分にあり得るだろう。私には何の確証もありはしない。


016
「僕がレインです」
「俺がトゥリー」
「私がクロウよ」
 3人が声を揃えて「3人合わせてレイン・トゥリー・クロウでーす」
 間抜けた自己紹介から始められるライブは、しかし、サウンドは間抜けどころか最高の緊迫感と高揚が支配するゴシックでインダストリアルで、しかもニュー・ウェイブとパンクのエッセンスを散りばめた貴重なバンド・ミュージックだ。
 小さいライブ・ハウスを埋め尽くした聴衆を熱狂の渦に叩き込んだのは言うまでもない。アンコール・ナンバーは、ビートルズの「ヘルター・スケルター」のカバー、レイン・トゥリー・クロウ・ヴァージョン。最高の盛り上がりでライブは終演する。しかしアンコールを求める拍手は鳴り止まず、「これが今日の最後」と言い置きして演奏されたのは、レイン・トゥリー・クロウの隠れた名曲「ブラッククロウ・ヒッツ・シュー・シャイン・シティ」だ。静かだが熱い覚醒をもたらすデヴィッド・シルヴィアンの名曲。


017
 地面を深く掘ること。
 任意に選定した地面の一角を、可能な限り深く深く掘り起こし、
そのまますべてを作品化する。


018
 木や石の塊をとにかく彫り尽くしてしまい、
その彫り尽くした残骸をまとめて提示することで作品化する。


019
 何でも良い。
任意に選定した物を、とにかく腐らせて作品化する。
その臭気をも含めて作品とすること。


020
 任意に選定した同じ種類の石を、
できるだけ多く積み上げて作品化する。
例えば、積み上げた石の塊を幾つも等間隔に並列して提示する。


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