更新日:20061201
レイン・トゥリー・クロウ001〜010
001
 生まれた時の記憶など何もない。それが普通ではないかとずっと思っていたが、最近の記憶の欠落・欠損や忘却癖を考えると、いや待てという気持ちに陥る。実は、誰もが生まれた時の記憶を鮮明に覚えているのではないかと。しかし、周囲の誰彼に「生まれた時の記憶はあるか」と訪ねて廻るわけにもいかないではないか。自分の記憶ほど曖昧で当てにならないものなはいというのが最近の実感なのだ。
 彼女といつどこで出会ったのかさえ定かではない。無理矢理に連れて行かれた合コンだったか、マイナーなロックバンドのコンサート会場だったか、新宿のキャバクラだったか、原宿の竹下通りの路上だったか。何か頭の中に霧がかかたみたいで、どれもがそうであり、どれもがそうではない、そんな感じなのだ。
 しかし、彼女とどこで出会っていようと彼女と自分の関係に何も変わりはないのだし、彼女の事情により自ら命を絶ったことに何の影響も与えない。なぜなら、彼女がストリッパーでストリップ劇場で知り合ったのだとしても、彼女と私の関係や彼女の唐突な自殺は変わらないからだ。出会いの契機は何でも構いはしない。そうではないか。
 今は彼女、彰の冥福を祈ることしか私にはするべきことがない。そして、彼女の記憶をできる限り保持すること、しかし、これが最も難しいのだけれど。

002
 子供の頃はほとんど下町で育ったようなものだ。曖昧な記憶をたどれば、多分、生まれたのは葛飾区堀切菖蒲園だし、和菓子職人の父親はそこから下町を転々とする。堀切菖蒲園、団子坂、町屋、南千住。堀切菖蒲園での記憶はまったくといっていいくらいない。強いてあげるなら近所の年上の子供に急所を噛まれたというありがたくもないものでしかない。いやはやなんだか、だ。
 団子坂の頃は、母親に東大の赤門界隈へ連れて行かれてよく遊んだという、大人になってから母親に聞かされた記憶があるだけなので、本当に団子坂に住んでいたのか、東大で遊んだのかは、信憑性に欠ける。
 町屋では、2階建ての長屋に住んでいた微かなイメージが記憶の底に残留している。母親が作った中華丼を、なぜか仰向けに寝たまま食べて急に吐いたというどうでもいい記憶が残っている。それ以来、中華丼が食べられなくなったかというと、そんなことはないのだけれど。
 幼稚園あたりで一家は南千住の2階建ての長屋に転居した。何号室かは忘れたが2階の真ん中あたりに住んでいたようだ。子供心に階段が急な造りだったのが怖かったのではなかったか。ミシミシ音を立てる木造の階段。その長屋の斜め向かいには瀟洒な児童館があった。少し足を伸ばせば、薄暗い公園や薄気味の悪い神社や壁で覆われた昔の陸軍か何かの練習場やロッテの球場があった。
 端的に言えば、下町の貧乏な家族の生活以外の何ものでもなかった。何もいいことがなかった町。いいことなど果たしてどれだけあったというのだろう。子供を叱りつけるだけの親、何も考えずぼんやりと臆病に過ごす何の取り柄もない子供、何もいいことがなかった。早く大人になることだけを夢見ていた。しかし成長するにつれて、自分の人生なんて20歳で終わりだなどと勝手に決め込んで悲劇のヒーローめいた感慨を持って生きてはいなかっただろうか。すべては自分の蒔いた種でしかないのに。今ならもっと一生懸命に生きないと後悔だらけだと忠告もしてあげられるのに、すべては後の祭りだ。

003
 双子と暮らし始めたのは、いつからだったろう。
 ある夏の夜、うっかり自室の鍵をかけ忘れて、気にかけながら帰宅すると(やっぱり鍵が開いていた)、シングルベッドに仲良く同じ顔をした若い女の子2人が白いシーツにくるまりながらすやすやと眠っていた。思わず部屋を間違えたかと思って、玄関に出てみたが、間違いなく自分の住む安アパートの一室だった。では、誰だ、この女の子たちは?
 急に右側にいた女の子が「お帰り」と可愛い声でささやいた。アクビを噛み殺しながら。左の女の子も眩しそうに目を細めながら「お帰り」とつぶやいた。細っこくて素敵に可愛い女の子だった。しかもまったく同じ顔、強いてあげれば、鼻の脇のホクロの位置が逆なだけだ。
 何か夢でも見ているのだろうか。こんな可愛い双子の知り合いなんていなかったはずだ。思わず頭の中が真っ白というか空白になった。シーツをはいで起き上がり正座した二人は、白いTシャツ(胸にそれぞれ「6」「9」とプリントしてある)の下にびっくりする程の巨乳を膨らませながら、白い小さなパンティを身につけただけの姿だった。いったい彼女たちはどうして僕の部屋にいるのだ。いくら鍵をかけ忘れたとはいえ。また謎が増えて行く。

004
 人は、生まれ、生きて、死ぬ、
 それがすべてだ。
 それ意外に何があるのだろうか。

 描けば描くほど夾雑物を排除したくなる。
 何もいらない、何も付け足さない。
 ただあるだけ、すべては常に無に帰して行く。

 人は、生まれ、生きて、死ぬ、
 それがすべてだ。

005
 雨、しとしとと静かに、すべてを濡らして行く。乾ききった心にも雨は慈愛をもたらすだろう。清浄な恵みの雨。
 雨は、彼女をも濡らしてくれるだろうか、唐突に死んでしまった彼女の悲しみに沈んだ寂しい心をも。
 雨。ただ降り続ける静かな雨。

006
 双子と暮らした1年は、精神的にも肉体的にも濃密で充実したものだった。彼女たちとの蜜月は約1年くらい続いた。そんな暑い夏のある日、彼女から唐突に郵便小包が届いた。郵便小包2箱には、彼女が愛読していた書籍の数々と「ごめん、内界に旅立つ」と記した遺書めいた便箋1枚が入っているだけだった。
 休みだった自分はいぎたなく眠っていたが、玄関のチャイムに気がついて郵便小包を受け取ったのは相変わらずピチピチのTシャツとパンティ姿の双子の1人だった。「あぁ、また、そんな悩殺的な姿で玄関に出るのか」と何か夢見心地に思った記憶だけは残っている。
「なんか来たよ」と、そう言い残して、双子の1人はシャワーを浴び始める。眠い目をこすりながら郵便小包を緩慢に開ける自分。
「なんか難しい本がいっぱい」と、郵便小包から本をベッドの上にぽいぽい投げ始める双子のもう1人。彼女もまたピチピチのTシャツとパンティ姿だ。どっちが麗でどっちが優だったか。それさえも定かではない。
 遺書めいた便箋を読んでフリーズする自分。彼女は、どこで死んだのだ。そう言えば彼女はどこに住んでいたのだ。

007
 何回目かに引っ越した東京の下町には焼却場の白く高い煙突があった。天辺には赤いラインが2〜3本引かれていた。引っ越した頃に作られ始め、気がついたら完成していたのだけれど。別に煙が吐かれるわけでもなく、まるでピンク・フロイド『アニマルズ』のジャケットのように不気味にそびえ立つだけなのだが。
 その後かなり経って、この煙突とは異なるが、同じテイストの馬鹿高い塔を見るながら、暮らすこととなる。それは東京からかなり離れた兵庫県姫路市でのことだ。夜になると場違いな程にライトアップされ、しかも自らも派手派手しく発光する海辺の塔。何のために存在するのかも定かではない、不可解で不可思議な塔。

008
 革命がある。
 そこに、革命がある。
 革命がある。

 しかし、何の?

 革命は常に不可解・不可思議だ。革命…。


009
 巨乳の双子の名前は、姉が優、妹が玲と言った。本名なのか偽名なのか、それは私には判然としない。彼女たちがそう名乗ったということだけがすべてだ。この世の中なんてすべて虚構じゃないか。彼女たちがそう言うならそうなのだ。しかも、彼女たちはロック・バンドを組んでいて、ゴスロリ・ファッションに身を包み、デュアル・ヴォーカルで歌を歌うのを、小さなライヴ・ハウスで観てもいるのだから本当なのだとしか信じざるを得ない。黒と白だけのレースをふんだんに使ったお揃いの服を着て、同じ顔、同じ表情、同じスタイル、同じ声で同じ歌を歌う彼女たち、妖艶でエロティックで不思議に魅力的だったのも事実だ。そのバンドの名前はゴウスツ。優と玲を合わせたのと、ジャパンというイギリスのニュー・ウェイヴ・バンドの名曲「ゴウスツ」をかけたものだとか。彼女たちのライヴのアンコールは、必ず、そのジャパンの「ゴウスツ」だとか。隠れたアンコール曲は、ラナウェイズ「チェリー・ボム」らしい。巨乳とゴスロリ・ファッション、甲高い歌声、すべてが毒々しかった。しかし、それははまれば抜けられない怪しさと魅力がいっぱいの最高の双子だったのだ。


010
「あのさぁ、ゴスっていえば、どんな音楽なの?」
「うーん、人によってはビートルズの『ヘルタースケルター』がゴスの始まりって言うわね」
「私たちの嫌いなへヴィメタの始まりでもあるらしいわね」
「ビートルズがゴスなの?」
「ゴスかって言われると、うーんだけれど、あの曲だけは突然変異みたいな凄いナンバーなの」
「曲調も歌詞もね」
「そうなんだ」
「あとはスロッビング・グリッスルがゴスの精神を体現したと思うけれど、それは言い過ぎかな」
「まぁ、通常はバウハウス、コクトー・ツインズ、キュア、カルト、ミッション、ヴァージン・プリューンズ、クリスチャン・デスとかがいわゆる正統ゴシック・ロックだと思うけれど」
「バウハウスって、ドイツやアメリカにあったデザイン学校だよね」
「まぁ、そこから名前を付けたんだと思うけど」
「リーダーのピーター・マーフィがまさにゴス。細身、暗さ、日本で匹敵するのはバクチクの櫻井敦司ぐらいかな」
「バクチクの『歌』って曲は大好きだけど」
「そうなんだ、」
 なぜか彼女たちはぴったりと身を寄せ合いながら僕の前で熱心に答えてくれる。優がおもむろに股を開く。2人とも相変わらず白いTシャツに白いパンティだから、彼女の白いパンティも丸見え。しかも薄くそこが濡れている。一体、優は何に感じたのか、ゴスに、か?
 ゴスとはネガティブ、ゴスとは月の裏側、ゴスとは闇への心性、ゴスとは、…。

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